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戦争をした国 ─アジア・太平洋戦争の証言と伝言@信州─

平和のための信州・戦争展長野県連絡センター編   A5判279頁 2015年8月発行 1389円(税別)

   

  「平和のための信州・戦争展」における延べ700名の証言からセレクトした涙と衝撃の39編。戦争とは何か、日本は何をしたのか、なぜそうなったのか、そして歴史から何を学び、どう受け継ぐのか━━。

 1988年に始まった「平和のための信州・戦争展」は、長野県内4地区の持ち回りで毎年開催され、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えてきました。その戦争展で発表された戦争体験は、全国最多の満蒙開拓団を送出した長野県らしく満州関係が多く、無謀な軍事作戦や教育・訓練の内容を問うものも目立ちます。

  

Ⅰ  外地での戦争体験

初告白「私は七三一部隊員だった」 飯田市/胡桃沢正邦

脅されても七三一部隊の真実を伝える 長野市/越定男

中国人民への尋問と刺突 辰野町/小沢又蔵

衛生兵が見た戦争のむごたらしさ 松本市/秋山芳通

みんな「母ちゃん」と呟いて死んでいった 佐久市/若月俊一

トラック島の敗残兵 中野市/田中源造

特攻隊員は飛行機を操縦するロボット 松本市/丸山重雄

満州開拓で指導的役割を果たした父の悔恨 木曽町/小川晴男

引き揚げの中で見た人間の本質 飯田市/矢澤姈

開拓団での根こそぎ召集からシベリア抑留へ 飯田市/小木曽弘司

中国残留婦人として生きて 木曽町/斉藤さと志

満蒙開拓青少年義勇軍として 木曽町/原今朝松

少年たちはなぜ勇んで義勇軍に志願したのか 伊那市/宮下慶正

「間違いだった」では済まない義勇軍送出 伊那市/三沢豊

義勇軍から北支部隊の〝鬼〟になる 上田市/小林英次郎

8月16日、集団自決の危機を逃れて 伊那市/串原喜代枝

満州引き揚げと苦いリンゴの味 上田市/竹内みさお

寒さと飢えのシベリア抑留 上田市/依田一

  

Ⅱ  内地での戦争体験

知られざる最後の特攻隊「人間機雷伏龍」 須坂市/清水和郎

戦争末期におけるゼロ戦の空輸任務 上田市/加藤荘次郎

海軍工廠の「大東亜戦争勝ち抜き棒」 木曽町/渡沢誠

兄2人が戦死の中で特攻の出撃命令を待つ 東御市/内山昭司

特攻隊の兄、上原良司の思い出 安曇野市/上原清子

「貧しい心」をたたき込まれた海軍予科練生 上田市/松本務

軍国少年の憧れ 木曽町/松岡英吾

戦力差歴然の中での「防空監視哨  木曽町/石橋博

沖縄空襲での逃避行 長野市/親里千津子

看護婦から見たB29の無差別爆撃 木曽町/松尾かず江

長野空襲で戦闘に加わった農民 長野市/小池与一

被爆者として援護法と反核・反戦を訴える 松本市/前座良明

被爆しながら修羅場の救護活動 箕輪町/赤沼実

広い校庭一面に寝かされた被爆者がほぼ全滅 飯島町/小林正巳

満島俘虜収容所とBC級戦犯裁判の理不尽 飯田市/北沢小太郎

反戦運動「伊那中事件」と現代 伊那市/小坂光春

2・4事件から義勇軍送出に至る教育の劣化 飯田市/今村波子

戦争中の青春時代 木曽町/沢田美世子

あの日16歳 佐久市/佐々木都

大日本帝国の小学校教科書からみた戦争と教育 松本市/小柴昌子

いまの時代が、あの時代になってきた 松本市/手塚英男

  

<解題>勇気と使命感に満ちた39の証言(満州が生んだ悲劇/特攻・空襲・被爆の惨劇)

<資料>ポツダム宣言/パリ不戦条約/国際連合憲章/日本国憲法

    近代日本(長野県)とアジア・太平洋戦争関連年表

  

ーー本文よりーー

私たちはあくまで医者なんです。マルタ(人間)を検診して体温を測ったり、呼吸を調べたり、血液を採血して検査したり、そういうのが私たちの任務だった。研究班は治療と言ってマルタに注射をした。それがはたして何の注射か分からない。そうしたことがマルタの研究なんです。(初告白「私は七三一部隊員だった」)

  

石井部隊長は、「この秘密は墓場まで持って行け。口外した者についてはどこまでも後を追うぞ」と脅迫めいたことを最後に言いました。(中略)ところが、石井隊長が亡くなった後、話をする人が出てきたんです。私もテレビに出て証言をしましたが、とても大きな反応がありました。放送後10日間くらいは夜中の1時2時に電話がかかってきて、「そういう証言をしたら絶対生かしてはおかんぞ。家族が大事なら証言は一切やめろ。日本が不利になる加害の証言なんて絶対してはならん」と言われました。(脅されても七三一部隊の真実を伝える)

  

中隊といっても野戦の中隊なので、当時は極めて少数で50〜60人でしたが、ある時、中隊全員である部落を朝早く、いわゆる「払暁(明けがた)急襲」に出たわけです。そしてその集落に着いたとき、主要な所には警備兵を残して、我々全員が部落内に侵入して、病人を含めて老若男女の部落民全員を村の広場に駆り出しました。(中略)突けと言われた相手は、孫を両側に抱いた50がらみのお婆さんでした。私ともう1人の兵隊は、恐る恐るそのお婆さんの胸を目掛けて突きました。すると、子どもがびっくりして「ワアー」と泣き叫びながら、お婆さんの胸にしがみつきました。乳飲み子と上は3歳か4歳の2人の子どもでしたが、私たち2人の兵隊は、その乳飲み子を振り払って、もう1回そのお婆さんを突いてとどめを刺しました。(中国人民への尋問と刺突)

  

そのときは最初にその捕虜に直径1mぐらいの穴を掘らせ、その穴のそばに目隠しをして座らせました。捕虜は「助けてくれ!」「助けてくれ!」と必死に拝んでいましたが、そこへ憲兵と士官が来て日本刀で後ろからバッサリやってしまい、そのまま穴に落として土をかけてそれきりでした。それを見たとき私はなんとも言えない気持ちになり、戦争っていうものはこれほどまでに残酷なものかと思いました。人間は環境が変われば、変わってしまうと思い知らされました。日本兵のなかには本当のところ、そんなことをしていた人もいたのです。(衛生兵が見た戦争のむごたらしさ)

  

8月9日には、ソ連軍が入って来ました。(中略)ソ連軍とは半年間向き合いました。やがて彼らは「女を抱かせないと、今夜の食料はやらんぞ」と言うのです。皆で寄り集まって相談しました。すると、「私たちが行くから、開拓のお母さんたち、出て来てはいけない」という女の方がいました。朝鮮・台湾、中には日本の人も混じっていましたが、彼女たちは慰安婦でした。開拓民は慰安婦という存在を知らなかったのです。

 「関東軍に連れられてそこらじゅう引っぱり回された。1日50〜60人もの男の相手をしました。私たちは、めちゃめちゃです。もういつ死んでもいい体。もう国へは帰れない。朝鮮に乗り込んだ日本人に騙されて、金儲けに連れて行ってあげようと騙されて慰安婦にされた」。こういう人がだいぶいるんですよ。もとからの売春婦もいますが。(引き揚げの中で見た人間の本質)

  

引き揚げの最後に忘れられないことがありました。列車で奉天を過ぎてから、17、18歳のかわいらしい娘さんが赤ちゃんを産まなくてはならなくなった。ソ連の兵隊に犯されて妊娠したのに子どもだからそれを知らずに、無蓋車の中でお産になった。その時、鈴木さんというすごく気働きのあるおばさんがいました。「女の人たちはここへ屏風を作りましょう」と列車の隅に人間で屏風を作り、男の人は向こうへ行って座りました。一生懸命17、18歳の少女が赤ちゃんを産みました。その産声へ向かって男の人たちも拍手をしてくれたんです。その時はとてもうれしかった。やっぱり祖国が見えだすと、人間の心を取り戻して、みんなが拍手をしてくれたことに本当に清い涙が流れました。

 でもこの赤ちゃんは1時間くらいで亡くなってしまって、次に止まった駅で鈴木さんと2人で栗の実った畑に埋めてきました。その時鈴木さんは、「この子にだって将来があったのに、栗だってこんなに実るのに、私たちは人間を実らせることができないんだよね」と言って泣きながら土をかけていました。(8月16日、集団自決の危機を逃れて)

  

  

アベコベな壊憲、戦争はヤダね! 

~秘密保護法・集団的自衛権容認に反対する信州の声~

毛利正道編著 A5判 182p 1204円(税別) 2014年7月初版 

 特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認に見られる安倍政権の「壊憲」政策は、現憲法の精神と民主主義および立憲主義を否定するものとして、各方面から憂慮されています。特に満蒙開拓で全国随一の犠牲者を出した長野県では戦争につながる政策への懸念が強く、約6割の市町村議会が集団的自衛権の解釈変更に「反対」または「慎重な審議」を求める意見書を出しています。

 本書は特定秘密保護法と集団的自衛権の問題点を分かりやすく解説。証言をもとに太平洋戦争およびイラク情勢を再検証し、若い世代と旧世代それぞれの「安倍壊憲ノー」の声も掲載しています。

  

<内容・構成>

●秘密保護法と集団的自衛権にみる安倍政権の暴走と独裁 弁護士/毛利正道

背水の陣で全国へ呼びかける 

嘘・隠蔽・謀略に満ちた戦争 

人類史的先駆の日本国憲法 

際限なく広がっていく集団的自衛権 

情報の隠蔽と戦争遂行 

憲法違反満載の秘密保護法 

解釈改憲の危険性と独裁

日本が進むべき道

一層横につながる 

《緊急アピール》信州発 全国へ 国民主権投票「戦争に突き進む安倍壊憲ノー」へのお誘い 

●秘密保護法と地方自治の危機 阿智村前村長/岡庭一雄

不可解な安倍政権の高支持率 

特定秘密保護法が出てきた背景 

歯止めのない法律 

市町村と住民を縛る秘密保護法 

満蒙開拓の教訓と秘密保護法 

右傾化と我々の伝える力 

●集団的自衛権に反対すべき三つの理由 名古屋大学教授・立憲デモクラシーの会/愛敬浩二

集団的自衛権行使解禁のための閣議決定 

憲法九条の規範内容と歴史的意義 

従来の政府見解の内容と評価の視点 

集団的自衛権行使解禁の論理とその問題点 

立憲主義への冒?、国民主権の軽視……第一の理由 

集団的自衛権の危険性……第二の理由 

在日米軍基地の恒久化……第三の理由 

おわりに 

●自民党改憲草案の狙いとその危うさ 毛利正道

改憲草案が出て来る前提 

国民主権から「天皇を戴く国家」に 

戦争の放棄から海外で「自衛戦争」する国に 

基本的人権から「権利と義務」に 

憲法改正規定が意味するもの

●戦争を繰り返さないためにイラク戦争の検証と現地情勢の正確な把握を イラク支援ボランティア/高遠菜穂子

医療支援の橋渡し役 

アメリカが招いた宗派対立 

イラク政府の行状とメディア

集団的自衛権容認後の日本とイラク 

●戦争の最前線に勝ち負けはなく、兵士は戦後も苦しみを背負う 元海軍戦闘機パイロット/原田要

満州事変の翌々年に横須賀海兵団へ 

死にゆく相手を間近に見る戦闘機パイロットの辛さ 

特攻・戦陣訓・捕虜に見る人命軽視 

終戦後の苦労と苦悩 

湾岸戦争を機に体験を語り始める 

●体験者の「記憶」を伝える満蒙開拓平和記念館 満蒙開拓平和記念館事務局長/三沢亜紀

困難を乗り越えての開館 

時系列で歴史をたどる展示構成 

「残留孤児の父」山本慈昭氏 

歴史のバトンを継承する拠点 

●若い世代に静かに手をさしのべる活動 特定秘密保護法の廃止を求めるあちの会事務局長/絹田皓士

特定秘密保護法への無関心と危うさ

事務局若手メンバーの思い 

若い世代と無関心層への伝え方 

●世代を超えて一人ひとりの思いや表現を大切に 秘密保護法やだネット長野事務局/板本泰治

巧妙に排除された若者の抵抗 

原発反対の声を上げると悪者? 

女性の視点と一人ひとりの立場

新旧世代それぞれの「希望」 

●安倍首相への進言 県民投票に寄せられた声/セレクション

安倍首相を論理的に追い詰める「進言」 

北信/東信/中信/南信 

浮かび上がる「希望」──あとがきに代えて 

  

  

石より堅い9条がある ~小林多津衛の赤十字国家論~

文/小林多津衛 板画/森貘郎 B5変型判 32p 1000円(税別) 2014年8月初版 

 「赤十字国家」を提唱して世界平和を願い、手仕事の大切さ、民芸のこころを説きつづけた小林多津衛。その平和論の抄録と森貘郎の板画による画文集。憲法9条の存続が危ぶまれる今、104歳で旅立った偉大なる先達の思想と言葉を噛み締めたい!

  

●内容・構成

序「憲法は大丈夫かや」 吉川 徹 (多津衛民芸館長)

赤十字国家の提唱  小林多津衛

  一九六七年三月六日未明に

  日本は戦ってはならない国、戦えない国

  赤十字国家を国是に

  二十一世紀の指標

  だれでも日本や世界の重要問題に寄与できる!

  生活は簡素に思想は高く

  民芸と世界平和

憲法9条こそが日本を守る  森貘郎

  

●本文より

 世界恒久平和の道を切り開くのに、世界中で最も適した国は日本であると私は考えます。

一、日本は世界の恒久平和を念願する憲法前文と、非戦を誓っている第九条を持っている世界唯一の国です。

二、日本は世界唯一の被爆国で、核の悲惨と危険を全国民が肌身に感じている国です。

三、日本は医学・農学・工業等学術程度が高く、世界に寄与できる実力を持っている国であり、芸術・宗教等の文化面でも世界に貢献し得る国です。

四、日本は経済力でも世界に貢献できる実力を持っている国です。

 このような条件を備えている国は世界に無く、天は日本に世界の平和と人類の生存に立ちあがれと言っているようにみえます。(小林多津衛)

●小林多津衛

 明治29年、長野県北佐久郡協和村(現佐久市)生まれ。大正7年長野県師範学校卒業。県下各地で教職を務める。柳宗悦に師事して民芸研究に携る。著書『善意を世界に──平和実現の具体化へ』など。平成13年没。

  

増補版 13歳の関東軍兵士 

山岸重治著 B6判 412p 2000円(税別) 1997年11月初版 2012年2月増補版

   

1945年、ソ連侵攻に伴い少年は兵士に任命された!

 1941年、一家で満州へ移住し、小学校6年卒業後に関東軍所属の陸軍燃料廠に軍属(技術研修生)として入隊。厳しい軍事教練と合成ガソリンの実験に励む13歳の少年は、ソ連侵攻に伴い関東軍の兵士に任命された。連絡兵として駆け回る中で敗戦を迎え、ソ連軍収容所での重労働、シベリア送りの指令とその回避、中国政府の管理下での工場勤務、八路軍の使役という激烈で数奇な運命を、家族と離れたまま一人で乗り越えた少年は1946年7月、故郷の豊野町(現長野市)へ引揚げを果たした。戦時における人間の理非曲直を少年の目で捉えながら、知られざる「少年兵」の存在を明らかにする。

 奇跡的にシベリア送りを免れた者として、抑留された少年の存在は長く著者の心を刺した。初版発刊後、シベリアへ送られた元動員学徒や陸軍燃料廠の同期生と再会を果たし貴重な証言を得るが、両者とも間もなく他界。他にも関係者が出現するが、歴史の暗部に関わることだけに面会を拒まれる事態が続く。2009年、シベリアに抑留された軍人と民間人に関する新資料がモスクワで発見されたが、そこに少年たちが存在したことはほとんど表面化していない。事実の風化を恐れる著者は、切れそうな糸をたぐるように事実関係と発生原因を調査し、最終章を「シベリアへ送られた少年と関東軍」として増補した。

  

1 陸軍燃料廠関東軍満州第238部隊

 陸軍燃料廠/開戦前夜日本の航空燃料の実情/四平工廠の合成技術/満州移住/陸軍燃料廠技養生徒隊/内務班教育/上官に敬礼/不寝番/所持品検査/朝鮮人の戦友/虱の発生と外出の思い出/メエーメエー仔山羊の歌/研究室へ配属/外泊許可/節水強化違反で処罰/積立金紛失/陣中慰問と村上の怪我/ボロをまとった生徒隊/後輩と学徒の入隊/ラブレター事件/盗難事件/物々交換で空腹を満たす/人肉事件/戦局切迫・米軍の沖縄占領/満州空襲/原爆投下・ソ連軍の侵攻/関東軍兵士に任命/終戦の詔勅下る/敗戦直後/武装解除/ソ連軍進駐/抑留始まる/前島の運命/貴金属類の行方/身辺雑記/高林兄弟/少年特務/関東軍所属の少年達

  

2 満州第19部隊貨物廠収容所

 脱走者の身代わりに収容所行きの指示/ソ連軍の収容所へ/脱走の罪で銃殺の宣告/重労働作業始まる/兵舎の夜/脱走者と交代の真相/イワノフとの出会い/外部作業/山羊の乳/義勇隊員との別れ/夜盗の侵入/過労の影響/死体埋め作業/中原はやくざだった/山羊毛との再会/食べ物の話題/ソ連兵の側面/監視兵と射撃を競う/目前の射殺/シベリア行きの指示出る/監視兵との別れ/イワノフとの別れ/解放され東門街へ戻る/トラックが来ない

  

3 遼北省立油化工廠

 東門街の生活/燃料調達と商売/燃料生産再開/家族と再会/幻滅の郭家店/遼北省立油化工廠/汽車股(自動車係)へ配属/内戦の予感/八路軍の包囲網強まる/ペストの流行/八路軍侵攻/八路軍の中で/八路の少年兵/中央軍迎撃の準備/八路軍へ入隊勧誘/中央軍の反撃/隣家と連絡口をつける/争奪戦の背後で/森永さんの死と使役射殺/八路兵の侵入/人民裁判/従軍看護の割当/狙撃兵の勧誘/八路軍入隊の挫折/八路軍の撤退と中央軍の進駐/春到来/中央軍の進駐堀内さんの悲劇/八路軍撤退後の状況/父の負傷/少年時代回顧(1)/少年時代回顧(2)

  

4 黄土の地よさらば

 居留民会の連絡係/初めてのアイスクリームと間宮との再会/引揚げ前夜/技術残留の要請/技術残留/引揚げ開始/公文書紛失/軍隊との絶縁/引揚げ行/満州収容所/所持金紛失に気づく/残留者が来ている?/技術残留の挫折/最後の引揚げ列車/引揚げ船/佐世保上陸/マーリンケソルダート故郷へ

  

《増補》シベリアへ送られた少年と関東軍

シベリア抑留者の新資料発見される/在満邦人シベリア抑留の根拠と発端/旧陸軍燃料廠の幹部総会/脱走者の身代わり/奉天工業の動員学徒/間島中学の動員学徒/生還した同期生との再会/抑留死亡者名簿の少年たち/義務教育年齢の法改正/シベリア抑留者の著作/関東軍に所属した少年たちの戦後

  

  

   

青年たちの六〇年安保 ~長野県からみる闘争の足跡~

新津新生著 四六判301ページ 定価1600円(税別) 2010年5月発売

国会請願数=全国1位、地域共闘数=全国2位、

長野県は60年安保の一大拠点だった!

安保闘争を支えた地域共闘は全国で約2000、そのうち長野県は約170余を占めて全国2位。国会請願の地方代表は全国1位。その大きな要因は町村における青年団の活躍と、労働組合・農民の提携にあった。

 

  六〇年安保が今また甦ろうとしているのではないか?

  きっかけを与えたのは普天間基地の移転先なし、という現状である。

  国内に行き先がないということは

  基地は要らない、ということにつながるし、

  そもそも日米安保そのものが、すでにその存在意義を失っている。

  無理にテロリズムを仮想敵にして、存在価値があるように装っている。

  マスコミも口裏を合わせて、

  安保がなくなると大変だ、基地がないと心配だと、騒ぎ立てている。

 

  執筆にあたり安保闘争の写真をたくさん見た。

  そこには元気に闘うたくさんの青年たちがいた。

  安保がなくならない限り、日本の戦後は終わらないのだ。(「はじめに」より)

     

序章 安保闘争とは何だったのか?

東西対立と富国ナショナリズム

こっそりと誕生した日米安全保障条約 

警察官の腕づくで改定された新安保条約 

国民的反対闘争の概略 

平和を守る闘い 

民主主義を守り地域や家庭の民主化を進める闘い 

青年たちの「連帯」はどこへ行ったのか 

  

第1章 安保闘争の前奏

第一節 安保につながる諸闘争

(一)原水爆禁止運動(世界では/日本では/長野県では)

(二)勤務評定反対闘争(全国では/長野県では)

(三)警職法反対闘争(中央では/長野県では)

(四)沖縄返還闘争(全国では/長野県では)

(五)三池闘争(全国では/長野県では)

(六)母親運動と母親大会(中央では/長野県では)

第二節 主力となった青年婦人たち

(一)総評の青年婦人組織

(二)長野県内の青年婦人組織

  浅間山米軍演習地・有明原保安隊演習地化反対運動

  県青婦協・県評青婦協の結成

  平和友好祭の開催

第三節 連帯を支えた「うたごえ運動」

(一)日本のうたごえ運動

(二)長野県のうたごえ・演劇運動

  青年団とうたごえ

  「信濃のうたごえ」

  活発な演劇活動

  

第2章 強行採決前の低迷と高揚

第一節 長野県における青婦共闘

(一)県共闘会議の結成

  飯山市外様青年団の素早い活動

  婦人だけのデモ

(二)県青年婦人共闘会議の結成

  地区青婦共闘の結成

  地区共闘を凌駕する青婦共闘

第二節 統一行動の混乱低迷期

(一)第8次から10次までの統一行動

  国会突入による内部対立

  停滞の中で奮闘する信大生と青婦共闘

(二)第11次から14次までの統一行動

  賛否が分かれた羽田闘争

  国民会議への不満と地域における学習活動

  飛躍する青年行動隊

  農村で活躍する上伊那郡青年団

  国際婦人デー支援闘争

  政治だけでは闘えない労働組合の現実

  運動の中で学習する女子青年団

第三節 高揚期の県青婦共闘

(一)学者・文化人の動き

(二)巻き返しの第15次統一行動

  国民総決起週間

  秩序整然たる国会請願行動

  授業放棄の信大生と学び続ける青年団

  安保反対の第31回メーデー

  

第3章 安保闘争が爆発した35日間

第一節 強行採決と民主主義の危機

(一)「黒いジェット機」問題から強行採決まで

  U2機事件

  強行採決への反応

(二)県内の第16次統一行動前半

  青年団が先導した信州新町共闘

  全国の注目を集める長野県連青

(三)県内の第16次統一行動後半

  強行採決に対する県民の怒り

  最大規模の国会抗議デモ

  私服潜入への抗議と女性の活動

第二節 史上初の「ゼネスト」と青婦共闘・地区共闘

(一)中央および全国の状況

  六・四ゼネスト

  政治ストは違法か

(二)県内の第17次統一行動

  活発な地域共闘

  六・四ストへの映画ロケ隊の参加

  木島平と飯田下伊那における青年団の活躍

  県青婦共闘の六・四統一行動

  農文協の『農村調査「声なき声」を訪ねて』

第三節 ハガチー来日と樺美智子の死

(一)米大統領新聞係秘書ハガチーの来日

  羽田空港でハガチー一行立往生

  闘争の疲れと学習不足

(二)全国・中央の第18次統一行動

  国会構内乱闘事件と樺美智子の死

  7社共同宣言と報道機関の変節

(三)県内の第18次統一行動

  信大教授・助教授への要請

  115名を派遣した中高・飯水地区

  諏訪清陵高校の声明

  県共闘の署名活動と実力行使

  篠ノ井駅に流れた労働歌

  国会での乱闘と信大生逮捕

  松本美須々ヶ丘高校の決議文

(四)自然成立への抗議

  安保闘争最大の中央動員

  家父長支配との闘い

  松本深志高校の市中デモ

  県連青・飯水安保共闘会議の訴え

  

第4章 最後の闘いと総括

第一節 六〇年安保最後の闘い

(一)第19次統一行動

 「国民抗議の日」と極秘の批准書交換

  県内の時限スト

  信大の三学部統一行動

(二)第20次統一行動

  全国200万人の抗議

  県共闘の60万署名行動

(三)伊那市で開催された第三回長野県母親大会

  自民党の圧力と伊那の対応

  「平和の問題」分科会

(四)第21~22次統一行動

  「米軍基地をとりのぞく」大会宣言

  安保闘争以外への広がり

第二節 安保闘争の総括

(一)総評の総括

(二)県評の総括

(三)県青婦共闘の総括

第三節 長野県の安保闘争の特徴

(一)全国でトップレベルの活動状況

  地域共闘数では全国2位

  全国1位の国会請願動員数と請願署名数

  総選挙の結果

(二)青年団の活躍

  長野県青年団の活躍

  北佐久郡望月町連合青年団の総括

  中野市立ヶ花青年団の活動

(三)農民組合の活躍

  農民組合と労農提携

  佐久酪乳価闘争

  上伊那・下伊那の農民組合と革新勢力の存在

  

終章 五〇年の時を越えて

第一節 安保闘争その後

(一)上小地区労働組合評議会(上小地区評)の闘争後50年

  上小地区評時代(1960~1990年)

  上小地区評センター時代~上小地区労組会議時代(1990~現在まで)

(二)長野県高校教職員退職者へのアンケートから

第二節 私にとって安保闘争は何であったか?

(一)安保闘争が人生を決めた

(二)安保闘争が歴史研究の原点となった 

(三)教育と組合活動と研究と 

   

おわりに 

参考文献

付表(1)安保闘争略年表

付表(2)長野県の地区共闘組織一覧表

付表(3)長野県における統一行動 

  

●新津新生(にいつ・あらお)

1940年東京神田に生まれる。1964年東京教育大学文学部史学科を卒業し、長野県飯山北高校に赴任。以後上田・伊那弥生ヶ丘・望月・屋代・上田東高校を経て、長野県立歴史館に勤務、2001年3月退職。1992年に上田小県近現代史研究会設立に参加して事務局を担当、2003年信州現代史研究所を設立。

著書『上田小県地方に空襲があった』『朝鮮戦争と長野県民』、共著『望月町誌(近現代編)』『佐久市志(現代編)』『長野県土地改良史』『長野県民の戦後六〇年史』他

  

  

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「戦争をした国」表紙
「アベコベな壊憲、戦争はヤダね!」表紙
「石より堅い9条がある」表紙
原水爆禁止大行進

安保闘争と並行して原水禁平和大行進が長野─広島間で行われた(県評センター史料=長野県立歴史館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1959年11月25日の安保改定阻止・失業貧乏反対大行進(同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県庁前で開かれた第12次統一行動「安保阻止賃上げ総決起大会」(1960年2月25日、同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県共闘議長と家族ぐるみの風船デモ(1960年3月19日、同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三池闘争で三井本社前に抗議デモをかける長野県代表団(1960年4月26日、同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春闘と安保闘争でストライキを打った川中島バスの女性労働者たち(同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衆議院面会所前で座り込む長野県の国会請願デモ隊(1960年6月18日、同前)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月18日の中央動員に参加した上伊那郡青年会の青年たち(井口公雄氏提供)

安保改定阻止の大行進
県庁前の総決起大会
風船デモ
三池闘争の抗議デモ
川中島バスの女性ストライキ
衆議院前の長野県デモ隊
中央動員に参加した青年会の青年

信大文理学部のストを報じる信濃毎日新聞(1959年6月26日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「警官500人を導入して新安保を強行採決」と報道する『南信州』(1960年5月21日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子高校生も参加した長野市学生・市民総決起大会(信濃毎日新聞1960年6月20日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「安保無効」を主張して620万人が抗議 (『総評』1960年6月24日)

新安保強行採決
総決起大会
620万人スト
信州大学スト
「13歳の関東軍兵士」表紙
「青年たちの60年安保」表紙

中国行軍 徒歩6500キロ

堀 啓 著 四六判199ページ 定価1429円(税別) 2005年7月末発売

 泥沼の日中戦争末期(1944~1945年)、中国南部から発着する米軍機による日本本土の空襲を防ぎ、あわせて南方の資源を運ぶ鉄道と道路を確保する目的で「大陸打通作戦(湘桂作戦)」が展開された。昼夜を問わず延々と歩き続けた距離は6500キロ。戦闘で毒ガス(赤弾)を使用し、地元民からの略奪は恒常的に行われた。

 50万の兵力を動員した太平洋戦争屈指の大作戦であるにもかかわらず、中国南部でのこの戦闘は、何故か戦争史において日の目を見ない。日中の埋もれた歴史と戦争の本質を、初年兵の曇りのない目を通してたどる。

   

「戦死者の小指」より 

 道県を過ぎて南に向かって進んでしばらく休憩していると歩兵が来た。

「おお、迫(迫撃隊)さんはいいなあー。自分らを見てくれ、一個中隊がこのざまだ」と馴れ馴れしく言う。聞くと我々と共に劉陽城、萍郷城の戦闘をした懐かしい歩兵六八連隊の兵士たちであった。

 醴陵を敵の大軍が奪い返す攻撃をしたとき、急ぎ救援に戻ったこの中隊は、多大な損害を受けて300名の隊員が7名になっていた。軍曹が中隊長代理である。

 全員が腰にタバコの空き缶を15個~20個程付けている。中身は戦友の小指一本のみを焼いた遺骨だと言う。背嚢の中にも多く入れてあるとのことだった。

 戦死者の小指を取る時と、飯盒炊飯の火で小指を火葬にするときの兵の気持ちは如何ばかりか、想像した途端に自然に涙が出た。「自分らは消耗品だからなあー」と自嘲を残して前進していく後ろ姿は何とも言いようもない、さみしそうな姿であった。

   

第1章 召されて戦争

一枚の赤い紙/帰れぬ覚悟/朝鮮経由の南京入り/教育隊の対抗ビンタ/班内当番/軍隊は泥棒の練習をする所/歯を食いしばれ!/洗濯とシラミ/検閲された手紙/迫撃砲/毒ガス訓練/気合を入れてやる!/南京から漢口・摂口へ/浙カン作戦と常徳作戦

   

第2章 大陸を打通する

湘桂作戦/重苦しい出発/食料の略奪/初年兵の自殺/初めての砲撃/アメリカ空軍の爆撃/皇軍は蝗軍/渡河/ロバのお蔭/大休止/東洋鬼が来た!/牛・豚・鶏の屠殺/トーチカと塹壕/へとへとの追撃/銃撃音と水柱に首すくむ/狂気と動転/下痢のフルチン行軍/山砲一個中隊の全滅/体力の限界と血尿/戦友の遺骨/稲刈り/たまには買物をしたい/ガス弾の返納/苦力/来陽から零陵へ/馬を乗り殺す/戦死者の小指/地下倉庫/回虫退治 

   

第3章 夜行軍の彷徨

湖南・広西省の山越え/広西省の精悍な住民/アメリカドル札/柳州城の陥落/アメリカ空軍の底力/西東公路を右往左往/山水画の景色とバナナの花/穴に落ちる/酒のない正月/歩哨勤務とゲリラ/マラリア熱帯熱/土匪と虎/中村隊長との別れ/軍隊の手当 

   

第4章 撤退

南京への撤退/中国軍の追撃/全県に到着/隊長もいろいろ/初年兵の到着/安義への敵中突破/敗戦を知る/蒋介石は大人/南京に到着/堀啓の乳の味がする/野戦郵便貯金/捕虜生活/マラリア班/無念の残留/兵站勤務/兵隊さんは闇商人/占い/復員 

    

●堀 啓(ほり・けい)

1922年長野県生まれ。1943年9月召集、「中支那派遣軍 迫撃第四大隊第二中隊」に入隊、南京で迫撃砲の軍事訓練を受け翌44年5月から中国南部の補給路を確保する「大陸打通作戦(湘桂作戦)」に参加。46年5月復員。

   

   

   

オラホの憲法9条

板画・森貘郎 B5変型 32ページ(カラー16ページ) 定価1000円(税別) 2005年5月発売 解説・愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授) 

 未来への非戦の願いを込めて郷愁あふれる14点の板画(版画)と信州の方言(千曲市森地区の「森っことば」)でつづる憲法9条の意訳絵本。改憲論議の焦点となる憲法9条(戦争放棄・戦力不保持)は現状では政治家の「思惑」によって論じられることが多いが、その9条の文言を硬い条文として捉えるのではなく、自分たちの言葉である方言に置き換えて問題を手元に引き寄せようという試み。書名にある「オラホ」は「俺達の方」の意。

 憲法学会の新旗手、愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授)による解説「今こそ、憲法9条」では改憲派や経済界の思惑、集団的自衛権行使の目的、9条の効用と可能性などを訴える。

   

●構成●

憲法前文にかえて(森貘郎)

この国のとりきめ ひとつめ 戦争はやらね ~6場面~(森貘郎)

とりきめの ふたつめ 軍隊はいらね つくらね ~6場面~(森貘郎)

解説「今こそ、憲法9条」~改憲派の「思惑」と憲法9条の「可能性」~(愛敬浩二)

杏の里の憲法9条 ~あとがきにかえて~(森貘郎)

    

    

    

    

    

    

    

    

      

     

     

     

     

     

     

       

       

     

     

      

あるハワイ移民の遺言 ~ハワイ・ヒロシマ・ナガノを結ぶ移民1世と3世の物語~

ケネス・T・オカノ & 片山久志著 四六判229ページ 定価1600円(税込) 2005年5月発売

  

日本はブラジルや満州に先行して明治初年から大量の移民をハワイに送出した。真珠湾攻撃当時、全ハワイ島民の4割弱は日系人。日系3世のケネスは戦前の日系社会で奔放に少年期を過ごし、終戦後に進駐軍CIC(情報部隊)の通訳として日本に渡り広島の惨状を直視する。除隊後、親交を結んだ長野県出身の1世老人が遺した意外な遺言を機縁として、存在しないと思われた親族との時空を越えた交流が始まる。貧困や戦争に翻弄されながらも、力強く生きたハワイ移民の日常とその血脈を伸びやかに描くノンフィクション。戦後60年の本年はハワイ本格移民開始120年にあたる。

 

●「まえがき」より

 共著者のケネス・T・オカノは、1927年、ハワイ・マウイ島最東端の孤立した町「ハナ」のプランテーションで生まれ、育った日系移民3世である。

 移民というとブラジルや満州がうかぶが、日本からの本格的な移民はハワイが最初だった。19世紀末から20世紀はじめにかけての移民最盛期、ハワイに渡った日本人の多くは、サトウキビ農場で一定期間働く契約移民だった。(中略)

 移民話は、開拓の苦労や戦争にまつわるものが多い。ケネスの家も太平洋をはさんだ日米戦に翻弄されたはずだが、本書に苦労話やグチめいた話はほとんど出てこない。楽しかったハナでの少年時代、3世軍人が見た終戦直後の日本、1世老人との心温まる交流と日本再訪を、年老いてなお少年のようなみずみずしい感性で記している。

 

●「あとがき」より

 私の祖父の弟であるハジメ・カタヤマは21歳でハワイに渡ったまま、郷里に帰ることなく91歳で生涯を閉じた。彼の棺をかついだひとりであるケネスによると、ハワイを永眠の地と定めたハジメは、生前に墓地を購入、墓石に日本の出身地と氏名を漢字で彫らせ、神式の葬儀を遺言していた。時おり、知人を自分の墓地に案内し、ご満悦だったという。

 ハジメは人生の大半をハワイですごした。途中、太平洋戦争もあって日本との音信は途絶えがちで、親族のだれにも知られず病院で息を引きとった。日本の親族に彼の死がもたらされたのは、死後20年もたってからだった。

 

●目次より

第1章 ふるさとはプランテーション

日本キャンプ/ハナのイッセイ日本人/プランテーションのにおい/サトウキビ農場でのアルバイト/ほか

第2章 楽園の少年

ハナの日本語学校/ワルサと刑務所/モイの地引き網漁/フルーツ天国/ほか

第3章 日系社会と真珠湾

頼母子講/センニンバリとイモンブクロ/ヒロヒト天皇と鉄の木/戦時下の学校生活/日系兵士/ほか

第4章 サクラと進駐軍

軍隊志願/日本語特訓とヒデキ・トウジョウ/ワッカナイ分遣隊/ヒロシマへ/原爆は要らなかった/ほか

第5章 移民1世の遺言

1世のヤードマン/遺言状/長野県須坂市への手紙/身内がいた/ほか

解説●ハワイ移民の光と影

ハワイ移民小史/ハワイ国王と明治天皇の会談/期待された外貨獲得/写真花嫁/真珠湾奇襲/太平洋戦線最大のタブー/CIC(対敵情報部隊)/日系人と日本人/ほか

 

「中国行軍 徒歩6500キロ」表紙
「オラホの憲法9条」表紙
本文「刀あれば」
本文「戦争に備える」
「あるハワイ移民の遺言」表紙

日米開戦後、日系人ゆえに米国への忠誠心を見せるためにも勇猛に戦った伝説の部隊「442連隊戦闘部隊」への志願兵

442連隊への日系人志願兵

日米開戦後、日系人ゆえに米国への忠誠心を見せるためにも勇猛に戦った伝説の部隊「442連隊戦闘部隊」への志願兵

ハワイ日本人墓地の墓標に刻まれた移民1世の出生地

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